「産科診療における麻酔科医師の役割」とは、麻酔のサブスペシャルティの一つである産科麻酔診療と同義と言える。日本の産科麻酔診療の特色は、小規模施設が全分娩の過半数を担っていることと、麻酔科医師数不足とが相俟って、産科麻酔診療を麻酔科医師が十分に担えていないことである。 日本麻酔科学会50周年史の「Ⅶ.戦後における麻酔の進歩」において、産婦人科麻酔の項では、人工妊娠中絶、サドル麻酔saddle block、脊麻下帝王切開可否論争について解説された[1]。本項ではその後20年間の産科診療における麻酔科医師の関与を振り返り、専門家集団としての麻酔科医師が今後担うべき役割を提唱する。 日本麻酔科学会偶発症例調査 (1999、2000年)によれば、帝王切開中の心停止の60%は麻酔管理が原因であり、これは全症例での9.4%を大きく上回っていた。川島康男は、「日本麻酔科学会指導病院の産科麻酔における貢献はその他の手術に比べてはるかに低く(全身麻酔では65.2%のシェアに対して、帝王切開では25.9%)、しか埼玉医科大学総合医療センターも麻酔管理上改善すべき余地が大きいことが示された。産科側からも麻酔科医への関与を強く要望されており、専門医集団として強い自覚と努力が望まれる。」と記した[2]。 2008年に麻酔科専門医試験受験者の帝王切開麻酔経験数を調査したところ、20人に1人は5年間に1例も麻酔経験がなかった。大学病院でも帝王切開の麻酔は産婦人科医が担い、麻酔科医は全身麻酔を担当していた当時の実態は、上記の結果とも合致する。日本麻酔科学会の関連領域委員会に2006年に組織された産科麻酔ワーキンググループは、専門医受験資格に帝王切開麻酔経験10例を加える一方で、麻酔管理料において帝王切開の脊麻では全身麻酔と同額の加算を要望して実現した。 厚生省班研究での長屋憲らの1991、1992年の母体死亡調査にもとづく2000年論文によれば、医療機関での妊産婦死亡197例中37%は回避可能だったと評価され、その3分の2は産科医が一人で麻酔も担っていた。著者らは"Reducing single-obstetrician only delivery patterns and establishing regional 24-hour inpatient obstetrics facilities for high-risk cases may reduce maternal mortality in Japan."と結論した[3]。 2010年に開始された妊産婦死亡症例検討評価委員会(厚生労働科学研究費補助金、主任研究麻酔科医師活動範囲の拡大麻酔科医師活動範囲の拡大第2部 寄 稿●はじめに●産科診療における麻酔科医関与の過去と現在69照 井 克 生産科診療における麻酔科医師の役割
元のページ ../index.html#77